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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)1400号 判決

理由

被控訴人植野梅吉は、控訴会社に対し、訴外東浦正義(以下正義という)の身上に関するいわゆる身元保証をなしたことを否認するので、まずこの点について判断する。控訴人は昭和二十八年十一月上旬頃正義の身元保証を引き受けさせるため、正義と被控訴人植野連名の誓約書(甲第一号証)及び被控訴人植野の印鑑証明書を被控訴人植野から提出させ、次いで被控訴人植野の身上を調査した上、被控訴人植野が身元保証をしたことに相違ないかどうかを同被控訴人に確かめたところ、同被控訴人から確かに身元保証を引き受けた旨の返信(甲第九号証)があつた旨主張する。甲第一号証中の被控訴人植野名下の印影が同被控訴人の印鑑を以て押印されたものであることは被控訴人植野本人尋問の結果によつてこれを認めることができるけれども、鑑定人の鑑定結果によると、右甲号証中の被控訴人植野の氏名は同被控訴人の自筆によるものでないことが認められ、また他の証拠によれば、同被控訴人の右印鑑は、当時その娘須美子の夫で同被控訴人方に出入していた正義がひそかに取り出して使用できるところに保管されていたことが認められる。次に、被控訴人植野名義の誓約書とともに控訴会社に提出されたとする同被控訴人名義の印鑑証明書(甲第七号証)の印影が同被控訴人の印鑑を押印したものであることは被控訴人植野の本人尋問の結果によつて認められるけれども、鑑定人の鑑定結果によると、右印鑑証明の請求人として同号証中に記載されている植野梅吉の氏名は同人の筆跡によるものでなく、被控訴人は自ら印鑑証明請求の手続をしたことはなく、却つて右印鑑証明の請求人として記載されている植野梅吉の氏名は前記誓約書中の被控訴人植野の氏名の筆跡と類似していることが認められる。更に原審証人吉田大一の証言によると、身上調査報告書は、控訴会社の職員である訴外吉田大一が、身元保証人としての被控訴人植野の身上調査に当り、同被控訴人に直接面接はしなかつたが、その妻に面接して三女と次男に関する事項は右シズから聞いて記入し、その他の点は正義の記入したもので、これについてもすべて確認したというのであるが、当審証人植野シズの証言の結果によると、右調査報告書の記載内容は真実に添わない部分が少なからず存在していることが認められる。また、甲第九号証は被控訴人植野名義の控訴会社宛に差し出された葉書で「植野正義儀身元保証引き受けました」旨記載されており、鑑定人の鑑定の結果によれば、植野シズが被控訴人植野梅吉に代つて同証書に署名したことを認めることができるが、それだけでは同被控訴人が身元保証をなしたことを確認することができず、却つて当審証人植野シズの証言及び原審での被控訴本人植野梅吉の尋問の結果によると、右甲第九号証は被控訴人植野の全く関知しないものであることが認められる。

以上のとおり認められるところ、これら認定の事実によつては控訴人主張のように被控訴人植野が正義のため身元保証をなしたものとは認められないから、右身元保証契約が成立したことを前提としてその履行を求める控訴人の被控訴人植野に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当として排斥を免れない。

次に、被控訴人田中重松が控訴人との間に、昭和二十八年十二月一日頃正義の身元保証契約を締結したことは、当事者間に争いがない。

被控訴人田中は、右身元保証契約は要素の錯誤により無効であると主張するので判断する。証拠によると、被控訴人田中は被控訴人植野を通じて正義と知り合うようになつたもので、がんらい正義とは親交があつたわけではなかつたが、正義が被控訴人植野に無断で偽造した同被控訴人名義の「御迷惑をかけるが如き行為は一切せず、万一かかる事態がおきた場合といえども、責を保証人に及ぼすことなく解決することを約束する」趣旨の正義との連署の書面を被控訴人田中に差し入れて身元保証人となることを正義から依頼されたため、右書面の被控訴人植野の作成部分が偽造であることを知らないで、これを真正に作成されたものと信じて上記身元保証人となることを承諾したものであるが、右偽造の事実が当初より判明し、被控訴人植野が正義の身元保証人となつていないならば、被控訴人田中もまたこれを承諾しなかつたものであることが窺える。しかし、このようなことが被控訴人田中と控訴人との間の契約の内容として表示せられ、またはその条件とされたと認められるような何の証拠もない本件では、右のような錯誤は動機の錯誤にとどまり、身元保証契約の要素の錯誤には当らないと認めるのを相当とするので、被控訴人田中の右主張は採用できない。

被控訴人田中は、上記のような事由が要素の錯誤に当らないとしても、被控訴人田中のなした身元保証契約は正義の詐欺によるものであるから、本訴でこれを取り消す旨主張する。しかし、被控訴人田中の右主張事実に徴しても、右の欺罔行為は身元保証契約の相手方である控訴人自身の詐欺行為とは認められないし、結局第三者が詐欺を行なつた場合に帰するのであるが、控訴人が悪意の第三者に当ることについてはこれを認めることのできる何の証拠もないから、被控訴人田中の右主張も採用の限りでない。

次に、被控訴人田中は「控訴人は昭和三十年二月正義の横領の事実を知りながら、身元保証に関する法律第三条所定の通知を懈怠したから、その後の正義の横領行為による損害については、被控訴人田中に責任がない。」旨主張するので判断する。昭和三十年二月、正義の横領金額が本件のほかに合計金二十七万六千五百円あつて、控訴人に右同額の損害を加えていることが発覚したため、その弁済について正義と控訴人との間に公正証書が作成されたことは当事者間に争がなく、正義の右横領行為が同人の業務に関するものであることについては、控訴人は明らかに争つていない。してみると、控訴人は昭和三十年二月右公正証書が作成された当時には、被用者である正義に業務上不適任又は不誠実な事跡があつて、身元保証人の責任を惹起するおそれのあることを知つていたものと認められるし、従つて使用者である控訴人は遅滞なく身元保証人である被控訴人田中に対してその旨を通知する義務を生じたものといわなければならない。しかるに、証拠によれば、控訴人は被控訴人田中に対し昭和三十一年一月二十八日到達の内容証明郵便をもつて、正義の横領の事実あることを通知したので、これにより同被控訴人は、はじめて正義に横領行為があつたことを知つたものであることを認めることができるのであつて、それまで正義の在職中控訴人が、被控訴人田中に対して右のような通知をなしたことについては何の主張も立証もない。被控訴人がもし正義の在職中控訴人の通知により正義の横領の事実を知つたならば、将来に向つて身元保証契約を解除したであろうことは、被控訴人田中が正義の身元保証人となつた上記認定の事実に徴して容易に窺えるところである。また証拠によると、控訴会社はその社員の業務執行についての監督は相当ずさんなものであり、正義は契約加入者の募集については、極めて優秀な成績を挙げていた関係で、正義の契約加入者から受領した金銭の処理等について、控訴会社はその監督を十分に尽さなかつたことが認められる。さらに、控訴会社は正義の前記横領の事実が発覚した後も、そのまま同人を従前と同じ業務に従事させてきたことは、控訴人の自認しているところである。上記認定の正義の監督に関する使用者である控訴人の過失、被控訴人田中が本件身元保証をなすに至つた事由その他本件に顕われた一切の事情を斟酌すれば、控訴人の蒙つた損害のうち、控訴人が被控訴人田中に対して上記認定の通知義務を怠つた昭和三十年二月以後の正義の横領に基くものについては、被控訴人田中に身元保証の責任はないものと判定するのを相当とする。従つて、被控訴人田中は本件身元保証契約に基き、昭和三十年二月以前の分、すなわち、契約加入者市沢賢治関係の金八万九千七百円についてのみその責任があるものである。

正義の横領行為によつて控訴人の蒙つた上記認定の損害金合計金二百三十万一千百円のうち、正義から金五十一万七千五十円と金十万円の弁済がなされたほか、昭和三十一年三月九日訴外植野八重子外二名から金十四万五百八十七円の弁済がなされたことは、当事者間に争がない。その弁済充当について当事者何れからも指定があつたことについては、何の主張も立証もないので、法定充当されたものと解する。よつて、総債務のうち、まず弁済期の到来したと認められる(右債務は何れも正義の横領という不法行為によつて生じたものであるから、それぞれの横領年月日の順序に、横領の都度弁済期が到来したものと認められる)上記市沢賢治関係の債務は、右弁済充当の結果、すでに消滅したものであることは計算上明らかであるから、控訴人の被控訴人田中に対する請求も理由がない。

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